トップページ > 解説:黒酢の秘密「昔ながらの味を守った黒酢の歴史」

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黒酢の秘密「昔ながらの味を守った黒酢の歴史」

昔、福山で酢を造っていた家には庭先に3斗入りのカメが並べられていました。

このカメで酢を造っていたのです。

小規模の造りではこれでよかったのです。

今は製造量が格段に増えました。とても庭先では造り切れません。

そこでカメは畑に進出しました。畑が醸造場と化したわけです。

つまり、製造量の増大には3斗カメの数を増やすことによって対応したのです。

普通行なわれているように容器の容量を大きくするのでなく、昔のままの製造単位を維持したのです。単位と同様、造りも変えていません。

この酢はここで造り始めた時から濃い色を呈していました。昔は色酢ともよばれましたが、今は黒酢とよぶほうがとおりがよいです。

黒酢の創始者竹之下松兵衛の酢造りは二代目理兵衛に受け継がれました。

理兵衛は販路を鹿児島、岩川、都城に広げ、年産を150石に高めました。

世は激動の幕末の頃でしたが、福山では理兵衛に倣って酢造りを始める者が増え、明治の初年ごろには34、5軒になりました。

その結果、酢の販路も急速に拡大され、北九州、沖縄にまで運ばれました。酢の生産量は300石に上ったといわれます。

このように販路が広がり得たのは、ひとえに、その品質が優れていたためですが、その証拠に、明治14年第2回内国勧業博覧会に理兵衛は酢を出品して、「風味甘酸ニシテ且芳烈ナリ以テ調理ノ用二供スルニ足ル頗ル嘉スヘシ」という褒状を獲得しています。

この褒状は今も理兵衛の子孫が家宝として保存しています。

明治中期の生産額はさらに伸びて6000石と記録されていますが、この頃から福山の業者間で競争が激しくなり、利益が次第に細まったので、明治44年には製造組合が組織されました。

このときの加入者は19名でした。

大正末期の業者は23軒となり、カメの数は一万個を上回ったとされます。

大正12年ごろから昭和5年ごろまでが戦前の最盛期で、昭和5年の生産高5000石、金額7万5000円に上りました。

しかし、その後は徐々に安価な合成酢におされ、衰退を見せ始めた。そして第二次大戦中は米の統制で原料が途絶え、戦後もこの状態が続いて業者は四、五軒にまで減ってしまい、カメの数も数百を数えるに留まりました。

このような衰微にもめげず、ひたすら昔からの造りを固守し、黒酢(福山酢)は絶妙な風味を持つ酢として、必ず見直される時期がくると確信を持ってその機を待った業者がいました。

坂元醸造鰍フ今は亡き元社長坂元海蔵氏です。氏の期待に違わずこの業界に回生の機会が訪れました。

昭和40年ごろから有害食品が問題となり、自然食希求のブームが沸き起こり、黒酢が見直され、その需要は飛躍的に伸びました。

そして58年には1万1000石が6社で生産され、断崖の下には5万個のカメの並んだ畑が出現しました。

しかし、ブームもこの年をピークとし、その後は安定成長を続けています。

参考にしてみてください。

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