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黒酢の秘密「黒酢の始まりと竹之下松兵衛」

福山の商人竹之下松兵衛は一風変わった人で、物珍しい物があるとそれにとりつかれたと伝えられています。

一般に鹿児島の商人は明治になっても、「薩摩見聞記」に本富安四郎が

「商人は世間のいわゆる商人に非ず、全く士族の御用足しにして、其一定したる少数者の必要品を調達するに過ぎず、販路の拡張を図らん様もなく、商機の変動に逢ふて奇利を制すべき折もなし」

と書いているように、商売気がないとされたが、そういう薩摩商人の中では松兵衛は異色の人であったようです。

その松兵衛が商用で日置地方を旅行していたある日、その地で色酢が造られているのを見ました。

そこの人々はこの酢を「アマン」とよんでいました。

日置は薩摩半島の西岸、日本の三大砂丘の一つといわれる吹上浜に位置しており、江戸時代から明治にかけては琉球・長崎方面との交易の盛んな港町でもありました。

日置は昔、焼酎の醸造に縁の深いところで、藩主島津光久から「阿久根諸白」という称を頂いた程の名人折口伊兵衛が、親の代から自分の阿久根に移るまで、焼酎造りをしていたところでもあります。

福山の人はその頃ダイダイ酢を使っており、色酢は松兵衛には初めての知見でありました。

そして酢の濃度が高く、風味がすぐれている上に、これを徳利に入れ炉の側に置いて、ときどき温めたら容易に腐らないことを知り、松兵衛の好奇心が燃え上がり、早速、松兵衛は製造を試みました。

この試みは今から想像しても、容易ではなかったようです。

ある時はアルコールの伸びが悪く、またある時は酢酸菌膜のできが悪い、というようなトラブルに悩まされたようでした。

しかし、松兵衛はついに風味のある酢の試作に成功しました。

これに自信を得て、文政3年(1820年)ごろ大仕掛けに製造を開始しました。

これが黒酢(福山酢)の始まりとされていますが、一説には文化2年(1805年)だといわれています。

いずれにしても1800年代の初期には間違いのないことで、今から170〜180年前のことでした。

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