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酒や敗酒がなければ酢ができないでは不便この上ありません。
酢はわが国でも古代王朝時代には塩、酒、醤とともに調味料の主役をなしていました。
このような古い時代の酢はどのようにして造ったのでしょうか。
結論をいえば、それは最初から酢を造る目的で米を仕込んだのです。
大和朝廷が日本全国をほぼ統一したのは4世紀半ばごろと考えられます。
このころから中国大陸や朝鮮半島の進んだ技術と高度の文明は、絶え間なくわが国に導入され、また大陸や半島からの渡来民の受入れが積極的に行なわれました。
その結果、農業に限らず、手工業の分野に大きな飛躍がもたらされました。
そして六世紀の末ごろから、大和朝廷の政治組織が次第に整えられ、隋唐にならった律令も制定されるに至りました。
大宝律令(701年)、養老律令(718年)がそれです。
それにともなって、朝廷には酒や調度を造る大規模な工房が置かれました。この工房に働く者の多くは渡来した帰化人でした。
朝廷用の酒は造酒司の掌るところと令義解(833年)に定められています。令義解というのは養老令の注釈書で「造酒司 正一人掌ニ醸レ酒、醍謂醍柵酒酢事、佑一人、令史一人、酒部六十人、掌レ供ニ行觴、使部十二人、直丁一人、酒戸」と書かれています。
つまり、造酒司は酒・醴(今日の甘酒)・酢の類を醸造し、供御を備え(神へのお供物をつくる)、節会等に行觴(人に洒を飲ませる)することを掌るということです。
造酒司は酢も扱っていましたが、造り方は延喜式(905年)を開いて初めてその一端を知ることができます。
延喜式というのは、先の律令に係わる、より細部にわたった規定で、これには多くの巻に、食についての記載があり、日本の食物儀礼はここに始まるということができます。
延喜式には、「酢一石析、米六斗九升 よねのもやし 四斗一升、水一石二斗」と、酢一石の原料として、米とよねのもやし(米麹のこと)がその量とともに書かれています。
これで酒を原料にしたものでないことがわかりますが、さらにその数行後に、「其酒起十月、酢起六月」と書かれ、酒と酢は造る季節が異なります。
酒は寒くなってから仕込み、正月に備えるわけですが、酢は気温の高い6月仕込みが、1000年以上も前に日本でも行なわれていたことを知ります。
酢酸菌の繁殖には高い気温が必要であることは、われわれの祖先も知っていたのです。
参考にしてみてください。
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